防災士講習ではたくさんの知識を得ることが出来ました。
特に、2日目5・6限の元NHK報道記者だった隈本先生による講義は新鮮でした。
メディアは 新しい何か、珍しい何か、心を動かす何かなどテレビを見ている人が喜ぶ・期待するようなものを好んで伝えている。
「絆」とか「早く仮設住宅を」といった、被災者を勇気づける報道をしたがる、その方が視聴者・読者の受けが良いし、被災者からも拍手がもらえるからだ。
東日本大震災ではNHKは津波の危険性をいかに伝えて命を救えるかを全国の主要な漁港はもとより全国で700箇所に及ぶ、いつでもスイッチを入れれば生放送が始められる天カメとFPUと言う通信回線を整備している。
その成果が世界初となった巨大津波の生中継で中継することにより、避難を促し被災者が減るだろうといういうプロジェクトで見事に大津波の世界初生中継を放送することが出来た。
が、しかし、誤算は地震発生後1分20秒後に起きた!
東北地方の広域停電だった、これが2万2千人もの死者行方不明者を出した原因だったのでは無いか、地震発生後3分後に大津波警報、そして27分後には津波の中継が始まっている。
関東にいた私たちは、その凄まじい光景をライブで見ていた、速く逃げてくれという思いを込めて。
停電、つまり被災地の人たちはテレビに映る津波の様子を見ることは出来なかった訳で、これは西日本豪雨により51人が亡くなった真備町でも、台風15号で大停電が起きた千葉でも被災者の方々は、テレビを見ることが出来ず、状況を把握することが出来なかったのです。
揺れを感じたら送電を止める、そして安全点検をしてから再送電する。当たり前の停電なんです。
非常時に情報収集をする方法は一番はポータブルラジオ、それも電池で聞けるやつ、もしくは電波が入るならば電池で見れるワンセグテレビ、大災害時はSNSは暫く使えない、と思った方が良いということです。
防災無線さえ大地震では壊れてしまい、消防団の消防車からのアナウンスで置かれている状況を知ったという事実がある。
3.11の地震発生後直ちにテレビ・ラジオはNHK・民放共全8波で緊急地震速報、2分後からは全8派手報道開始された。
ラジオは発生と同時に番組を中断して緊急地震速報を伝えた、NHK総合テレビの音声をそのまま放送された、そのときNHKのアナウンサーはテレビを見ている人たちだけで無くラジオを聞いている人も情報により今、何が起きていているのかを的確に伝えられた。
我が家の近くには最大出力500KWというAMラジオの菖蒲久喜放送所がある、安いラジオでも緊急の場合は入るので寝室はもちろん事務所でもすぐに聞くことが出来るようにしている。
電池を入れっぱなしの場合時々電源を入れ電波が受信できるか電池の液漏れが無いかを調べて欲しい。
3.11の教訓としてもう一つ、過去の災害の教訓に正しく学び、起こりえる事態に備えた人だけが生き残れるということ。
釜石の奇蹟と大川小学校の悲劇
・中学生が小学生を支えながら高台を目指して避難した...避難率先者となったこども達、釜石東中が掲げていた目標は「助けられる人から助ける人へ」自分の頭で考え、想定さえも信じるな、できる限り全力を尽くせと防災教育がされていた。
・大川小学校の児童らは、地震の発生から約50分後まで校庭で待機しました。
そして学校側の指示で、近くの「三角地帯」と呼ばれる橋のたもとに避難に向かいましたが、その間に、津波に巻き込まれた。
教育委員会に提出されていた 津波に対応するマニュアル には第1次避難は「校庭等」、2次避難先が「第二次避難【近隣の空き地・公園等】」としか書かれておらず、具体的な場所が明記されていなかった。
このことは防災対策の上で重要なことで、被害の状況を想定して、何処へ避難するかなど具体的な内容を決めておくことが重要であると。
阪神・淡路大震災で伝えられていない事実は6,434人が亡くなり行方不明・負傷者を含めると5万0,229人となり、東日本大震災の2万4,587人の2倍の被災者を発生させた。
何故か?
震度7という揺れによって、高速道路もビルも家も、いろんな物が一瞬で壊れた。がれきの山で緊急車両は走れない、発生は真冬1/17の朝5:46、寝ている人、お弁当・朝食の用意を始める人、真っ暗な中に炎が上がった、火の手はどんどん広がってゆく、すべてが燃え尽くされるまで燃えた。
報道では、高速道路が倒壊、「安全神話」の崩壊、一面に広がる大火災、自治体消防力の不足、自衛隊の出遅れ、災害時医療の不備.........冷静に考えるとこんなこと対応できる状況じゃ無いわけでマスコミがテレビの前の視聴者が気を留める報道を繰り返した。
本当の原因はデータが物語っている
まずは推定死亡時刻、当日午前6時までに亡くなった方が81%(警視庁調べ)
つぎに推定死因 建物倒壊による圧死・窒息死が83.3%(兵庫県)つまり80%以上の人が地震発生から14分間になくなっている
死亡原因はほとんどが建物の倒壊や家具の転倒による死亡であると言うこと、火災による死者は12.8%であるがそのうちのほとんどが倒壊家屋の下敷きになり逃げ遅れた人と思われます。
自衛隊の出遅れ、災害時医療の不備、消防力不足などでは無いことが判る。
さらに、死者の年齢別分布を見ると若い人とお年寄りが亡くなっている、気になるのは20才から24才の年齢層が吐出している、これは大学生が家賃の安い老朽化し耐震性の低いアパートに住んでいて倒壊したという見方が出来る。
つまり、古くて耐震性の低い家に住んでいながら、その危険性に気づかないか、耐震補強に踏み切れない貧しい人が犠牲になったと想像できる。
震度7を記録した地域の悉皆(しっかい)調査が行われた対象となったのは923軒、そのうち被害を受けたのは1981年以前の旧耐震基準の木造住宅、特に昭和47年以前の家が顕著であった、新耐震基準を満たした昭和57年以降の建物は比較的被害が少なかった。
震災直後に繰り返し報道されたこと-------
1.被災者支援の重要性――--→官邸に緊急対策室 全国の自治体に震度計
2.復興の道のりの難しさ――--→仮設住宅、震災復興住宅、被災者支援法
3.何故地震予知できなかったのか――--→地震学者への批判
あまり報道されなかった事実----------
1.被災者の80%が圧死
2.被害は昭和56年以前の旧耐震基準の建物に集中――--→貧困層に被害
3.家が倒れるから人が死に、火災が起きる
つまり、国民の多くが耐震性の高い住宅に住むことが大切である。
阪神淡路大震災から25年以上経っているのだから日本の家は耐震性が高くなっているはず、だがまだまだ耐震化が進んでいない。
もし、家の下敷きになってしまった人にインタビュー出来たとしたら、「こんな思い物が崩れてきたら、痛いし、苦しいし、死にそうだ、こんなことになるんだったら耐震補強しておけば良かった」と。
「家族を死なせない」ために、まずは耐震診断をしましょう。
追伸 7月4日 合格通知書が届きました。
試験は30問、8割以上が合格とのこと。どんな試験でも、何歳になっても、合格通知はうれしい物です。
私の住まう上尾市の場合、町内会の推薦があった場合、合格すると受講費と受験料を全額助成してくれる制度があり、これから請求したいと思います。
町内の防災に携わる物として、建築という人と財産を守る仕事に携わる物としても
災害の基礎知識を知ることにより、私たちはどのように備えたら良いか、どう対処すれば良いかを学ぶ良い機会を頂き、上尾市にも感謝いたします。